フェニーチェ歌劇場友の会
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1月12日号

日本の“AMICI”の皆様、ご機嫌いかがですか?
こちらはこのところ非常に寒い毎日です。環境大臣に「地球はホントに温暖化してるの?」って聞きたくなるくらい!! 帽子に手袋、マフラー、毛皮、ブーツで完全武装して「ロンディネ(つばめ)」の稽古に通う毎日です。「ロンディネ」ってプッチーニのスランプ時のマイナー作品みたいに思っていましたが、なかなか魅力があってステキな舞台に仕上がりそうです。演出家のグラハム・ヴィックは「グリース」(あのジョン・トラヴォルタとオリヴィア・ニュートン・ジョンの)をかなりイシキしているようです。

さて今回はちょっと趣向を変えて「ロンディネ」の稽古のパウザ(休憩時間)にフェニーチェのマエストロ・ディ・サーラ、ピアニストのステファノ・ジベッラートさんにいろいろお話を伺いました。マエストロ・ディ・サーラはオペラをプロデュースする場合なくてはならな重要な役割で、音楽稽古、舞台稽古、照明あわせ、バレーの振り付け稽古などすべてをこなさなければならないだけでなく、常に指揮者のアシスタントとして舞台に指揮者のイデアが伝わるよう配慮しなければならないわけです。

この仕事、今年で何年目になります?
24年です。

20年前と今と何が変わりましたか?
私がフェニーチェに入ったころはカップッチルリ、ギャウロフ、カヴァイヴァンスカ、シャーリー・ヴァーレット、レナータ・スコット等歴史に残る歌手たちの全盛時代だったわけです。したがってオペラの稽古もどうしても彼ら中心になります。彼らは指揮者に対しても、演出家に対しても自分の考えを主張しますし、時には激しく衝突したりもしますから、なかなかスムーズに事が運ばなかったりもしましたね。
今の歌手達は音楽的にも良く準備されているし演技の面でも非常にフレキシブルだから物足りない、とはもちろん言わないけど(私の仕事がシンプルになるわけだから・・)、大きなインパクトを与えてくれる歌手は少なくなった様な気がします。

ブラーヴォなマエストロ・ディ・サーラとは?
まず良いピアニストである事。歌う、ということに大きな興味をもっていること。もちろんオペラを最初の音から最後の音まで知り尽くしていること。バロックからコンテンポラリーまですべての音楽のあり様を常に理解しようと努力を怠らないこと。ドイツ語、フランス語はもとよりロシア語、スペイン語、ラテン語、英語、できるだけ多くの言語を理解できること。

フェニーチェが焼けてしまった時、何を思いましたか?
フェニーチェという劇場の建物が消失したこと自体よりも、数多くのマエストロ、歌手たちと共有した時間、スペース、いっしょに呼吸した空気を失ったという感覚、思い出すことさえ不可能になるだろう無力感、・・・era tremendo !

再建されたフェニーチェに始めて足を踏み入れたときは・・・?
はっきり行って非常に驚いた。フェニーチェが帰ってきた、と思いました。失ったと思っていたものが本当はどこかに隠されていただけで、ある日突然まったく同じ姿で帰ってきた、なにか暖かいものに包まれているような、そんな不思議な気持ちになりました。

初めての日本公演はどうでした?
日本という国に大きな興味を持っていました。すべての組織がパーフェクトに機能し、すべての人間がひとつの目的に向かって全力で前進する、予想していたとはいえ、やはり驚きました。オペラに対する意識も非常に高いし、東京で世界中のオペラ劇場のレベルの高い公演が見られることも知りました。

ジベッラートさんはマエストロ・ディ・サーラであるだけでなくヴェネツィアの音楽院の声楽の先生でもあるわけだけど・・・
そう、日本人の学生もたくさん教えています。3年前から毎年夏にベッルーノ(ヴェネツィアの北約100km 程のところに位置する町、ドロミテ山岳地帯への入り口)で指揮者のレナート・パルンボ、テノールのウイリアム・マッテウッツィ各氏と声楽セミナーでも教えています。日本人の学生は音楽的に非常によく準備されているし、飲み込みも早い。

日本人の声はキャラクターに乏しい、といわれますが・・・
持っている声を十分に活用できるテクニックを身に着けることが第一。

フェニーチェのマエストロ・ディ・サーラとして出会ったアーティストで一番強いインパクトを与えられたのは?
ジョルジョ・プレートル、ローリン・マゼル。

ぜひ挑戦してみたいオペラは?
「西部の娘」、「パリアッチ(道化師)」。フェニーチェに入って24年になるけど、このふたつのオペラはまだ一度もプログラムされたことがない。「パリアッチ」は今年ようやく12月に今シーズン最後のオペラとして登場するのでとても楽しみです。それから「トリスタンとイゾルデ」。
どうもありがとうございました。BUON LAVORO !

ステファノ・ジベッラートさんと筆者

 

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