フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(1)

カナル・グランデ編 フェッローヴィアからリーヴァ・ディ・ビアジオまで

Ferrovia(フェッローヴィア)

散歩の出発点は鉄道(FS)の駅である。駅の正式な名前はVenezia Santa Lucia(ヴェネツィア・サンタ・ルチア)。名前の由来は、ナポリ民謡とはなんら関係なく、かつてこの場所にサンタ・ルチア教会という教会があり、鉄道駅が建設される際に取り壊されたので、その名前を冠したというわけである。教会にあった聖ルチアの遺体はサン・ジェレミア教会に移された。
かつてはサン・マルコに船から上陸するというのがヴェネツィアへの正当なアプローチであったが、鉄道が開通してからはこの駅がヴェネツィアの玄関であるといってよいであろう。列車がラグーナの上の橋に差し掛かり、遠くにヴェネツィアの町が見えてきたときにわくわくした気分を抑えきれなくなるのは、なにも「旅情」のキャサリン・ヘップバーンだけではない。1858年8月29日、リヒャルト・ワーグナーも興奮のあまり、車窓から帽子を飛ばしてしまった。彼は到着後、ゴンドラでカナル・グランデを経由してサン・マルコに乗り付けている。25年後の1883年2月、ヴェネツィアで亡くなったワーグナーの遺体はやはりこの駅からバイロイトへと運ばれた。もちろん現在の駅舎は当時のものではなく、1955年に再建されたものである。

ヴェネツィア・サンタルチア駅

さて、鉄道の駅の名前はサンタ・ルチアであるが、水上バスのバス停の名前はFerrovia(フェッローヴィア)である。Ferroは鉄、viaは道なので、まさに「鉄道」である。大運河を行く水上バスは、1番、2番、3番と3つある。1番は各駅停車、2番は昨年までは82番だったのだが、急行でリアルトに急ぐ場合に利用する。3番は地元住民専用なので、我々観光客は乗れない。今回はのんびりと各駅に泊まる1番に乗ることとする。
乗船してすぐ、進行方向右側、駅舎と向かい合って立っているのが、サン・シメオーネ・ピッコロ教会。実に美しい教会で、ヴェネツィア到着後、駅を出て最初に目に飛び込んでくる建物である。以前はコンサートなどにも利用されていたようだが、最近はずっと修復の作業中。
その左隣、茶色の建物がフォスカリ・コンタリーニ館。言い伝えによると、ヴェネツィア総督(ドージェ)として有名なフランチェスコ・フォスカリ(在位1423−57)はこの場所で生まれた。彼はヴェルディのオペラ「二人のフォスカリ(i due Foscari)」の主人公、老フォスカリである。

フォスカリ・コンタリーニ館とサン・シミオーネ・ピッコロ教会

スカルツィ教会とスカルツィ橋(右)
橋(スカルツィ橋)手前、左手の白いファサードの立派な教会はスカルツィ教会。オーストリア軍の爆撃を受け、天井を飾っていたティエポロのフレスコ画が被害を受けた。その一部が現在、アカデミア美術館に展示されている。建物はバロックの大建築家、ロンゲーナの手によるもの。

Riva de Biasio(リーヴァ・デ・ビアジオ)
Ferroviaの次のバス停はRiva de Biasioである。「ビアジオの河岸」という意味だが、このビアジオというのは、かつてこのあたりに住んでいた肉屋で、人の肉をソーセージにして売っていたということで、サン・マルコのピアツェッタ(小広場)で首をはねられた。こんな男の名前を地名のみならず、バス停の名前にしてしまうヴェネツィア人の感覚は不思議なものがある。
Riva de Biasioの反対側の岸にある教会がサン・ジェレミア教会である。ここで、ジョバンニ・ガブリエリの伯父のアンドレア・ガブリエリがオルガニストを勤めていた。教会の壁に、聖ルチアがここに眠る旨が記してある。
この教会の右隣の建物がラビア館。カタロニアの裕福な商人が建てた屋敷で、ラビア家はその財力に物を言わせて貴族に列された。晩餐会で料理を金の皿で供し、会の後、その皿を窓から惜しげもなく運河に投げ捨てたという逸話が残っている。ただし、運河に網を張っておいて、客が帰った後、皿を回収したとのこと。現在、この建物はイタリア国営放送教会(RAI)が所有しており、時折コンサートなどが行われる。

サン・ジェレミア教会

ラビア館とカンナレージョ運河
ラビア館の右を流れているのが、カンナレージョ運河で、ヴェネツィアで運河(canal)と呼ばれるのは、大運河、このカンナレージョ運河やジュデッカ運河などで、そのほかの小さな運河はRio(リオ)と呼ばれる。カンナレージョ運河は本土からサン・マルコ方面に物資を運ぶ重要な運河であった。

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