フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(18)

カンナレージョ地区編 マリブラン劇場

マリブラン劇場
かつてこの劇場は近所の教会の名にちなんでサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場と呼ばれていた。この場所にはマルコ・ポーロの一族の家があったのだが、火事で焼けてしまった。1677年その跡地に貴族のグリマーニ家が建てたのがこの劇場である。当時はヨーロッパで最も美しく、そして最も有名な劇場であった。天井の開放口からシャンデリアが上下し、平土間の柱はすべて彫刻と金メッキが施されていた。舞台装置も素晴らしかった。ヴェネツィアの他の劇場が入場料を値引きせざるを得なかったときも、この劇場だけは値引きをしなかった。それだけ高い評価を獲得し、質の高い観客に支えられていたのである。
1707年、アレッサンドロ・スカルラッティのオペラが2本上演されたが、その際に若きヘンデルがこの劇場でチェンバロを弾き、周りを驚愕させた。そのヘンデルは1709年12月26日、「アグリッピーナ」をこの劇場で上演し、27回も再演されるロングランとなった。1747年まではオペラだけを上演する劇場であったが、時代の流れには逆らえず喜劇も上演するようになった。それにしたがって観客の質も変わっていった。平土間では栗や梨を売る露店が設けられた。19世紀に入り、ジョヴァンニ・ガッロが劇場の所有者になった。彼はヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」を再演して大成功させたサン・ベネデット劇場のオーナーでもあった。1819年にはロッシーニの「泥棒かささぎ」が上演されている(初演は1817年、ミラノ・スカラ座)。1834年に劇場の名前がエメロニッティオ劇場と変更されるが、その翌年の1835年4月8日、スペインの歌姫マリーア・フェリーチタ・マリブランがベッリーニの「夢遊病の女」を歌って大成功を収め、それを記念して現在の名前に変更された。1849年、オーストリアとの戦争中には大砲の弾が平土間の真ん中に落ちた。19世紀の終わりまではオペレッタが演目の中心であった。20世紀に入ってからはオペラ、映画、演劇など様々な目的で利用された。1980年代後半からしばらく使われていなかったが、1996年にフェニーチェ劇場が焼けたあと、オペラの上演に使われるようになり、フェニーチェの再建後はバロックオペラの上演やコンサートなどに使われている。
マリブラン劇場 マルコ・ポーロの家と言われる建物

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