フェニーチェ歌劇場友の会
本文へジャンプ
ヴェネツィア音楽散歩(11)

カステッロ地区編 スキアヴォーニ河岸を東に(1)

新牢獄

パラッツォ・ドゥカーレの前からパーリア橋を渡るとそこからカステッロ地区になる。橋の上からは、ため息の橋を見ることが出来、このあたりはいつも観光客でごった返している。橋を渡ったところにある白い石造りの建物は新牢獄である。パラッツォ・ドゥカーレの天井裏と地下に牢獄があるが、これらが手狭になったので新たにこちらの牢獄が作られた。設計したのはリアルト橋と同じ、アントニオ・ダ=ポンテである。もちろん今は監獄として使われていないが、時折ジャスのコンサートや展覧会が催されている。

ホテル・ダニエリ(パラッツォ・ダンドロ)
ヴェネツィアを代表する高級ホテル、ダニエリはかつて貴族ダンドロ家の屋敷であった。この建物は16世紀のものである。1630年、モチェニーゴ家とジュスティニアン家の婚礼の際に、ヴェネツィアで始めてオペラが上演されたのがこの場所である。作品はモンテヴェルディの「略奪されたプロセルピーナ(Proserpina rapita)」である。この作品の音楽は失われてしまったが、最近の研究によって、1651年に出版されたMadrigali e Canzontteの第9巻にその断片が含まれていることがわかっている。
1822年にこの建物の一部がホテルとして使われるようになり、後に建物すべてがホテルになった。当時はアルベルゴ・レアーレという名前であった。
ワーグナーが始めてヴェネツィアを訪れたのは1858年8月29日であるが、その際にこのホテルに逗留している。その後、1861年11月、1880年10月、1882年4月にもここに泊まっている。音楽家ではほかにドビュッシーが1880年に滞在している。音楽家のほかにはジョルジュ・サンドとミュッセ、プルーストなど多くの文人がこのホテルを利用している。
新牢獄 ホテル・ダニエリ

サン・ザッカリーア教会
スキアヴォーニ河岸から少し北に入ったところにサン・ザッカリーア教会がある。マウロ・コドゥッシによるルネサンス様式のファサード(正面)が美しい。中に入ると、左手にジョヴァンニ・ベッリーニによる祭壇画がある。この巨匠が描いた傑作のひとつだが、ワーグナーは1882年9月30日にこの教会を訪れ、この作品を見て右側の聖人が「あまりにもヘブライ的だ」と不平をもらした。
教会の右側に隣接するのは女子修道院である。18世紀この修道院は貴族の子女が多く暮らしていた。当時、貴族の娘が結婚する際には多額の持参金を用意せねばならず、そういった出費を嫌った貴族は娘を修道院に入れた。当然、娘たちは信仰心に篤いわけもなく、修道院では仮面舞踏会を開くなど、宗教施設とは思えないような自由な生活をしていた。カ・レッツォニコにあるフランチェスコ・グワルディの「サン・ザッカリーア修道院の談話室」という作品はそういった当時の様子を描いている。カサノヴァがこの修道院の修道女を連れ出したエピソードは、フェデリコ・フェニーニの映画で紹介されている。
サン・ザッカリーア教会 フランチェスコ・グワルディ「サン・ザッカリーア修道院の談話室」

再び、スキアヴォーニ河岸にもどる。

前に目次次に進む

 

Amici della Fenice in Giappone. All rights reserved. 2006.