フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(12)

カステッロ地区編 スキアヴォーニ河岸を東に(2)

ホテル・ロンドラ・パレス

ホテル・ロンドラ・パレスはサン・マルコ沖を望む大きなホテルである。かつてここはホテル・ボー・リヴァージュという名前であった。ホテルの正面にあるパネルには「ロシアの偉大な作曲家、ピョートル・チャイコフスキーは1877年12月2日から16日までこのホテルに滞在し、第4交響曲を作曲した」とある。この年、チャイコフスキーはホテル・ヨーロッパに2週間滞在し、そこで歌劇「エフゲニー・オネーギン」の第2幕第1場の構成を固め、そしてこのボー・リヴァージュに移ってきた。チャイコフスキーはヴェネツィアが気に入っており何度か訪れているが、このときの滞在はあまり楽しくなかったようで、「私は本当に疲れている。(中略)もう奴等の出すゴミみたいな飯を食わなくてすむかと思うと、せいせいする」と旅立つ前日に手紙に書いている。
ホテル・ロンドラパレス

ピエタ教会
正確な名前はサンタ・マリア・デッラ・ヴィジタツィオーネというが、通称ピエタ教会と呼ばれている。ここはヴィヴァルディが働いていたことで有名な教会である。彼は1703年から1740年の間、この教会の聖歌隊の指揮をしていた。建物はヴィヴァルディの死後、マッサーリによって建て直されたものであるが、当時頻繁に音楽が演奏されていたという事実を反映して、音響に配慮がなされた設計になっている。参列者席の両側上方に鉄の金網のついたバルコニーがあるが、ここで少女たちが歌い、楽器を演奏した。左右両側に分かれているのでステレオ効果が得られる。天井にはジャンバッティスタ・ティエポロのフレスコ画「聖母の勝利」がある。以前はここでよく観光客向けのコンサートが開かれていた。

オスペダーレ・デッラ・ピエタ
オスペダーレとは日本語で慈善院である。身寄りのない子供を引きとり、教育を施していた施設で、男の子は船乗りや船大工になるように教育したが、女の子には歌や楽器演奏を教えた。ヴェネツィアには有名なオスペダーレが4つあったが、現在ホテル・メトロポールの場所にあったオスペダーレ・デッラ・ピエタはヴィヴァルディが指導に当たっていたことでもっとも有名である。彼はここで音楽を教え、また彼女たちに演奏させるための曲を書いていた。つまり、彼の書いた多くの協奏曲、室内楽曲、オラトリオなどは彼女たちのために書かれたものである。彼女たちの演奏のレベルは相当高かったらしく、外国の要人がヴェネツィアを訪れた際にも彼女たちがよく演奏を披露していたため、ヨーロッパ中で有名であった。フランチェスコ・グアルディやガブリエレ・ベッラが演奏会の模様を絵画に残している。ヴェネツィアに経済的な危機が訪れるたびに捨て子が急増し、オスペダーレがそれを引き取っていたわけだが、ピエタ教会の壁面に安易に子供を捨てることを戒める看板が残っている。
ピエタ教会とホテル・メトロポール(右) 少女たちが演奏したバルコニー(ピエタ教会)

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