フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(13)

カステッロ地区編 ブラゴーラ教会から北に


ピエタ教会から東側に橋をひとつ渡り、狭い路地を北に登ると小さな広場に出る。
ヴィヴァルディの生家
この広場はカンポ・バンディエラ・エ・モーロもしくはカンポ・サン・ジョヴァンニ・イン・ブラゴーラと呼ばれている。この広場に面した家でヴィヴァルディは生まれた。場所ははっきりとはわからないが、3805番地から3809番地の間だと言われている。ヴィヴァルディの両親、父ジョヴァンニ・バッティスタ、母カミッラ・カリッキオは結婚してまもなく、1676年にこの広場に面したアパートに引っ越してきた。1678年3月4日に、アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディが生まれている。彼は27歳までこのアパートに暮らしていた。彼の父、ジョヴァンニ・バッティスタは床屋であったが、当時のヴェネツィアでは床屋は店で楽器を教えていたので、アントニオも最初は父にヴァイオリンの手ほどきを受けたのであろう。ヴィヴァルディのライヴァルであったベネデット・マルチェッロはヴィヴァルディを揶揄するパンフレットの中で「床屋の息子」と馬鹿にしている。貴族であったマルチェッロにとってみれば、平民出身の音楽家が幅を利かせているのが癪だったにちがいない。

サン・ジョヴァンニ・イン・ブラゴーラ教会
広場の東側の角にある教会がサン・ジョヴァンニ・イン・ブラゴーラ教会で、ヴィヴァルディはこの教会で洗礼を受けた。彼の洗礼の際に使われた洗礼台は教会入って左側の一番手前にある。
サン・ジョヴァンニ・イン・ブラゴーラ教会

カンポ・バンディエラ・エ・モーロの北側、ホテル・レジデンツァの脇を抜けて北に向って歩くと運河にでる。その運河沿いに歩き、突き当たりにあるのがスクオーラ・ディ・サン・ジョルジョ・デリ・スキアヴォーニである。

スクオーラ・ディ・サン・ジョルジョ・デリ・スキアヴォーニ
スキアヴォーニとはダルマチア人のことであるが、彼らはガレー船のこぎ手としてヴェネツィアに多く居住していた。このスクオーラは彼らの同信会館である。この建物は音楽と何か関わりがあるわけではないが、内部にはヴィットリオ・カルパッチョによる聖ジョルジョと聖ヒロエニムスにまつわる連作絵画があり、これは必見である。聖ジョルジョが洗礼を行うシーンでは祝祭の音楽を奏でる管楽器奏者が描かれている。

ロレンツォ教会
スクオーラの前の橋を渡り、運河に沿って北上すると突き当たりの建物がロレンツォ教会である。この教会でフランチェスコ・カヴァッリが働いており、彼の墓もここにある。彼はすべての財産をこの教会の修道院に遺していった。現在は教会としての役目を終えているが、その広い伽藍を利用してコンサートなどが開かれる。1984年9月25日、ビエンナーレ・ムージカによってノーノの最後のオペラ「プロメテオ−聴く悲劇」が初演されている。この作品のテキストはマッシモ・カッチャーリ(現ヴェネツィア市長)によるもので、初演の指揮はクラウディオ・アッバードであった。
スクオーラ・ディ・サン・ジョルジョ・デリ・スキアヴォーニ ロレンツォ教会

ロレンツォ教会の前の橋を渡り、北に歩く。
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