フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(23)

ジュデッカ運河編 サン・ジョルジョ・マッジョーレからレデントーレへ


サンザッカリーアのバス停より2番のバスに乗り、次のサン・ジョルジョまで行く。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
美しい新古典様式のファサードはアンドレア・パッラーディオの設計によるものである。壁を漆喰で塗り、窓を大きくとっているため教会の中はかなり明るい。中央祭壇の脇ではティントレットによる「カナの結婚」などの力作を見ることができる。また、教会の左奥にある鐘楼からはヴェネツィアで最も美しい眺めを楽しむことができる。
1329年のサン・ステファノの祭りの際にドージェ、フランチェスコ・ダンドロがこの教会を訪問したが、その際彼のために演奏されたマルケット・ダ・パドヴァ作曲の3声のモテット「聖なるお体」はヴェネツィアで最初に作曲されたポリフォニー音楽と言われている。
1566年、パッラーディオは教会の大幅な改装を行っているが、その際、教会の中央にあった合唱席を中央祭壇の後ろに移した。これによって、信者には見えないところから音楽が響いてくることになり、ミサの荘厳さを高める効果が生まれた。
1613年マントヴァから新天地を求めてやってきたモンテヴェルディはサン・マルコ大聖堂の音楽長のオーディションを受けた。8月19日の午前中この教会でリハーサルを行い、午後に運河を渡ってサン・マルコ教会で演奏をし、その日のうちに楽長に任命された。報酬は前任者の1.5倍であった。その後30年にわたってヴェネツィアの宗教音楽、世俗音楽そしてオペラにおいて主導的な役割を果たすことになるのであるが、その出発点はこの教会である。隣接する修道院は現在チーニ財団の本拠地である。かつて修道院の食堂にあったヴェロネーゼの大作「カナの婚礼」は、ナポレオンによって持ち去られ、現在はパリのルーブル美術館にある。
サン・マルコから遠くサン・ジョルジョ・マッジョーレを望む

水上バスに乗り、次のジテッレ(Zitelle)で降りる。
ジュデッカ島はかつて貴族の別荘や菜園などがあった。したがって、あまり立派な屋敷はなく、庶民の多く住むエリアとなっている。

ジテッレ教会
ジテッレ教会はもともと、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と同じく、パッラーディオの設計によるものと言われていたが、実のところはよくわからない。この教会付近はポンキエッリのオペラ「ラ・ジョコンダ」の第4幕の舞台になっている。教会の左となりの建物(パラッツォ・ダ・モスト)は主人公のジョコンダが住んでいたことになっているが、もちろん、これはフィクションである。「ラ・ジョコンダ」の原作はヴォクトル・ユーゴーの「パドヴァの暴君、アンジェロ」で、ヴェルディの傑作「オテロ」の台本作者であるボーイトがトビア・ゴッリオというペンネームで台本を書いた。

ジテッレから水上バスにのり次のレデントーレまで行く。たいした距離ではないので、天気がよければ歩いてもよい。

レデントーレ教会
ジュデッカ島でもっとも美しい建造物は、間違いなくこのレデントーレ教会である。パッラーディオの設計によって1577年に建築に着手され、1592年に完成した。レデントーレ(Redentore)とは「救い主」の意味である。1576年、ヴェネツィアの人口の3分の1が犠牲となったペストが終焉し、それを神に感謝する意を込めて建立された。1577年7月21日、起工式のミサのためにアンドレア・ガブリエリは8声のモテット「O Crux Splendidior(いとめでたき十字架)」を作曲、演奏している。創立以来、7月の第3日曜日にジュデッカ運河に架設の橋がかけられ、それをドージェとその従者が渡って教会を訪れた。モンテヴェルディは1620年、この「レデントーレのお祭り」のために曲を書いている。現在でもこの日、人々は船を並べて架けられた橋を渡って教会を訪ね、夜はサン・マルコ沖で花火が打ち上げられる。
ジテッレ教会 レデントーレ教会

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