フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(25)

ジュデッカ運河編 インクラビーリから海の税関へ


オスペダーレ・デリ・インクラビーリ
インクラビーリ(incurabili)とは、治癒できない、という意味である。このオスペダーレは元来、治る見込みの無い病人を収容する慈善施設であり、1522年に創設された。梅毒にかかった売春婦なども多数ここに運び込まれた。建物の中央の出入り口のほかにさらに出入り口が2つあり、ひとつには笑顔の石像が、もう片方には悲しい顔が扉の上に飾られている。これは病気が回復した場合は笑顔の出口から、治癒かなわず亡くなった場合は悲しい顔の出口から退出したのである。その後、病人のための使節から孤児のための使節へと転用され、ヴェネツィアに4つあるオスペダーレのひとつとなった。1709年、有名なヘンデルとアレッサンドロ・スカルラッティによるチェンバロの演奏対決がこのオスペダーレで行われたという説があるが、同様の話はサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場にもあり、はっきりしたことはわからない。
ブラーノ島出身の作曲家、ガルッピもここの指導者として名を連ねている。1782年、ローマ教皇ピオ6世がこのオスペダーレを訪問した際に、ガルッピ作曲、ガスパーレ・ゴッツィ(「トゥーランドット」の原作者、カルロ・ゴッツィの兄)台本による「トビアの帰還」が上演された。ガルッピの指揮の下、ヴェネツィアの4つのオスペダーレの少女たちが演奏し、1400人もの聴衆が集まった。18世紀後半、オスペダーレの中ではヴィヴァルディが指導したピエタが有名であったが、音楽的な実力ではこのインクラビーレがもっとも優れていた。この建物は1794年に軍の施設となり、1832年には中にあった教会も取り壊された。現在は現代美術の展示に使われている。
オスペダーレ・デリ・インクラビーリ 笑顔の石像

そのまま河岸を東に歩く。

海の税関
かつては海からヴェネツィアに到着する船の税関が置かれていた。その西側に連なる建物は塩の倉庫であった。今、これら一連の建物は、パラッツォ・グラッシと同じ、フランソワ・ピノー財団によってモダンアートの美術館として利用されている。内装を手がけたのはこれもパラッツォ・グラッシと同じく、安藤忠雄氏である。
海の税関
大運河側の河岸を西に歩き、サルーテから水上バスに乗ってサン・マルコに戻る。

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