フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(20)

サン・ポーロ、サンタ・クローチェ地区編 カルロ・ゴッツィの家とサン・カッシアーノ劇場

カルロ・ゴッツィの家
今渡った橋を正面に見て右側の大きな屋敷がカルロ・ゴッツィの家である。カルロ・ゴッツィは18世紀の劇作家で、ゴルドーニのライバルであった。彼の書いた作品はいくつかオペラになっているが、なんといっても有名なのはプッチーニの「トゥーランドット」である。もっともトゥーランドットには元ネタがあり、その起源はもちろんアジアにあるのだが、マルコ・ポーロの話などを連想させ、いかにもヴェネツィアらしい作品であるといえる。彼は他にプロコフィエフのオペラになった「3つのオレンジの恋」の原作者でもある。
カルロ・ゴッツィの家(中央)

今渡った橋を再度渡り、突き当たったら右に曲がる。突き当たったら右に曲がる。ちょうどカルロ・ゴッツィの家を4分の3周することになる。運河に沿ってそのまま歩き、橋のところに来たら左に曲がる。Calle de l’Agnellaという路地に来るはずである。まっすぐ歩くと途中、右に曲がる細い路地があるのでそれに入り、突き当りまで行く。

サン・カッシアーノ劇場跡
塀の向こう側に木が生い茂っているが、ここに世界で最初のオペラハウス、サン・カッシアーノ劇場があった。もともと1581年に貴族のトロン家によって建てられた木造の劇場で、当時は演劇を上演していたが1629年に焼失し、その後石造りの劇場として再建された。1637年2月、世界で始めて一般市民から入場料をとってオペラが上演された。それまでオペラは貴族の私的な楽しみであり、一般に公開されることはなかった。最初の演目はフランチェスコ・マネッリの「アンドロメダ」であった。1639年にはフランチェスコ・カヴァッリが「テティとパレオの結婚」でオペラデビューをはかり、1641年には「ディドネ」を上演している。同年、モンテヴェルディも「ユリシーズの帰還」をここで上演している。1649年に上演されたカヴァッリの「ジアソーネ」は大成功を収め、イタリア中で上演された上にヴェネツィアで17年後にも再演されている。当時のオペラは基本的に再演されることがなかったので、これは異例の成功だといえる。
当時の劇場は5階建てで、それぞれの階に31のボックスがあった。18世紀にはアルビノーニやガルッピの作品が上演されている。1763年の大幅な改装の後、チマローザやパイジエッロの作品が上演された。1776年、カサノヴァは共和国の諮問委員会のスパイとして働いていたが、この劇場のボックス席には道徳に対する犯罪者たちが来ていると報告している。実際のところ、この劇場のあるエリアは売春宿が集中しているところでもあった。劇場最後のオペラはヴェネツィア共和国が崩壊した1年後に上演され、1812年にはアルブリッツ家の庭を造るために取り壊された。現在は地名のteatro(劇場)やcomedia(喜劇、芝居)などに劇場の名残を残すのみである。
劇場のあった場所 劇場跡の前の通り

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