フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(21)

サン・ポーロ、サンタ・クローチェ地区編 おっぱいの橋からゴルドーニの生家へ

路地を引き返し、Calle de l’Agnellaに出たら、右に曲がる。突き当たりに小さな橋がある。

おっぱいの橋(Ponte dei tette)
貿易業で栄え、政治的にも有力な国家であったヴェネツィア共和国には、国外からの商人、外交官、船員などが多く滞在していたが、娯楽の少ない時代においては売春はある意味必要悪であった。作家マリン・サヌードによれば、17世紀初頭のヴェネツィアの人口が11万人であったところ、娼婦は約1万人いたとのこと。ヴェネツィア共和国は売春宿をこのサン・カッシアーノ近辺に集める政策をとっていた。橋の前の建物もかつては娼館であった。橋の上に立つと、建物の窓がちょうど正面に見えるが、娼婦がこの窓から客引きをする際に胸をさらけだしていたので、「おっぱいの橋」という名前がついた。音楽とは直接関係はないが、世界最初のオペラハウスがどのような客層を相手にしていたのか、示唆を与えてくれる話である。
おっぱいの橋とかつての娼館

橋を渡り、最初の路地を右に曲がると少し小さな広場にでる。広場の一番奥、左に細い路地があるので、それに入る。ヴェネツィアでもっとも狭い路地のひとつである。路地を抜けると運河に出るので右に曲がり橋を渡る。最初の路地を右に渡って道なりに進んでいくと広場に出る。

サン・ポーロ広場
この広場はヴェネツィアでももっとも広い広場の一つである。昔はここでよく牛追いが行われた。犬をけしかけて牛を追わせるものであるが、娯楽の少ない時代、動物いじめは大衆に人気のある娯楽であった。現在は、ヴェネツィア映画祭のときに屋外上映会が行われる。広場の東側の建物の前にヴェネツィア大学の中国文学科が入っているが、この屋敷にカサノヴァがヴァイオリンを教えに来ていた。

広場の南西にあるサン・ポーロ教会の南側の路地を進む。橋を渡りまっすぐ進んだ付きあたりを左に曲がり、またすぐに突き当たるので右に曲がると、左側に格子戸の門が見える。

ゴルドーニの家
カルロ・ゴルドーニはヴェネツィアが生んだ最高の劇作家である。リアルト橋近くのサン・バルトロメオ広場に彼の銅像が立っている。ゴルドーニは1707年2月26日、この家に生まれた。パドヴァ大学で法律を学んだが演劇に興味を持ち、劇作家となった。同時代のヴェネツィアの作曲家にオペラの台本を多く提供しているが、ハイドン、モーツァルトも彼の台本に曲をつけている。2008年、フェニーチェ劇場で初演されたオペラ「シニョール・ゴルドーニ」はこのゴルドーニ本人を主人公にしたオペラで、フェニーチェがルカ・モスカに委嘱した作品である。現在、彼の生家は演劇研究所となっており、ヴェネツィア演劇資料館となっている。
ゴルドーニの家 ゴルドーニの家の中庭

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