フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(7)

サン・マルコ地区編 サン・マルコ広場周辺

サン・マルコ寺院

サン・マルコ寺院を抜きにしてヴェネツィア音楽の歴史を語ることはできない。ヴェネツィア共和国の宗教儀式(政治的な意味合いも持ち合わせていることが多かったが)には音楽が欠かせなかった。そういった意味で、サン・マルコ寺院の音楽長(マエストロ・ディ・カペッロ)はきわめて重要な役職であった。1527年、フランドル出身の作曲家ウィラールト(1490年ころ〜1562年)が音楽長に就任し、寺院の巨大な空間がもたらす長い残響音と2台のオルガンという特殊な環境に適応するようなスタイルを確立した。以後、そのスタイルはアンドレア・ガブリエリ、ジョヴァンニ・ガブリエリらに受け継がれていく。ちなみにこの二人を親子と紹介されているものを見かけるが、実際には叔父、甥の関係である。
なお、ストラヴィンスキーは1955年、「サン・マルコの名前をたたえる聖なる歌(Canticum Sacrum ad Honorem Sancti Marci Nominis)」を作曲し、1956年9月13日にこのサン・マルコ寺院で演奏している。

カノニカ
サン・マルコ寺院の北側に隣接する建物の奥、運河に面した部屋にモンテヴェルディが住んでいた。彼は1613年にサン・マルコの音楽長に就任したが、この役職につくとこの建物の中に住居を無償であてがわれる。いかにこの役職が共和国に重要であったかが、この待遇からも想像することができる。モンテヴェルディは1643年に死ぬまでこの建物で暮らした。

サン・マルコ広場
春から秋にかけて、サン・マルコ広場ではカフェのオーケストラの演奏を楽しむことができる。サン・マルコ寺院に向かって右側がカフェ・フローリアン、左手、寺院に近いほうがラヴェーナ、その手前がクワドリである。フローリアンは現在営業を続けるカフェでは最も古く、1720年の創業である。ゲーテをはじめ、ヴェネツィアを訪れたほとんどの芸術家、文化人がここを訪れている。オーケストラのレパートリーはクラシック、ナポリ民謡から「瀬戸の花嫁」まで幅広い。フルートやクラリネットなど木管楽器がメンバーにはいっているのが他のカフェとは違う点である。演奏スタイルは比較的まじめで大人しい。これに比べるとラヴェーナやクワドリはショーマンシップを発揮している。この2つのカフェはワーグナーが通ったことで知られる。クワドリはオーストリア占領時代、オーストリア軍の将校たちの溜まり場であったため、それにちなんでか、オーケストラのレポートリーもヨハン・シュトラウスなどウィーンの音楽が多い。

カフェ・フローリアン

ラヴェーナののオーケストラ

コッレール美術館
コッレール美術館の入り口の前の床に、教会をかたどったパネルがある。ここにはかつてサン・ジェレーミア教会があった。設計者はサン・マルコ図書館なども設計したサンソヴィーノである。ヴェネツィア生まれの作曲家ヴィヴァルディの本職は司祭であったが、彼はこの教会で聖職者になるための勉強をした。教会は1808年、ボールルーム(舞踏会のための部屋)を作るためにナポレオンによって取り壊された。現在、コッレール美術館のエントランスがそれである。
美術館に「4つの扉の間」というのがあるが、ここはかつてドージェ(総督)の私的な音楽室であった。ここでドージェは私的なコンサートに耳を傾けた。1782年、ここで大掛かりなコンサートが催されたが、その様子はガブリエッレ・ベッラによって描かれ、現在クエリーニ・スタンパ美術館で見ることができる。

パラッツォ・ドゥカーレ(ドゥカーレ宮殿)
パラッツォ・ドゥカーレはドージェ(総督)の公邸であり、また議事堂でもあった。宮殿で行われる儀式や外国からの要人を迎えてのバンケットなどでは音楽は欠かせないものであった。サン・マルコ寺院の音楽長がその任務に当たった。1628年、トスカーナ大公を迎えての晩餐会でモンテヴェルディはマドリガルを演奏している。
ワーグナーはヴェネツィア滞在中、よくこのパラッツォ・ドゥカーレを訪れ、カリタ門のすぐ南側の石のベンチによく腰をかけていた。1960年9月27日、ストラヴィンスキーは「ジェズアルドのための記念碑」をこの宮殿で初演している。1938年以来、宮殿の中庭ではときおりコンサートやオペラが上演されるが、名高いのは1962年、マリオ・デル・モナコが主演した「アイーダ」である。

リドット
リドットとは今で言うところのカジノで、人々がギャンブルに明け暮れた場所である。本来ギャンブルは非合法であったが、1638年最初の公認リドットとしてオープンしたのがこのカッレ・ヴァッラレッソにあったリドット・ダンドロである。数あるリドットのなかでも最も有名なもので、ロンギ、グワルディ、ベッラらが絵に描いている。また、モーツアルトもここを訪れている。しかし1774年に閉鎖になった。理由はギャンブルで財産を失う貴族が続出したからである。その後19世紀には人形劇が上演されるようになり、1938年からはコンサートホールとしても利用されている。プーランク、オネゲル、ヒンデミットらがここで演奏している。現在はホテル・モナコ・エ・グラン・カナルの所有物で、時折プライベートな催しが行われている。


リドットの入り口

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