フェニーチェ歌劇場友の会
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ヴェネツィア音楽散歩(8)

サン・マルコ地区編 3月22日通りからサント・ステファノ広場

3月22日通り(Calle Larga XXII Marzo

1848年3月22日、当時オーストリアの統治下におかれていたヴェネツィア市民がダニエレ・マニンをリーダーに蜂起し、アルセナーレ(造船所)を占拠した。この通りの名前にはこの史実にちなんでいる。現在は有名ファッションブランドのお店が立ち並ぶおしゃれな通りになっている。

サン・モイゼ劇場跡
3月22日通り、サン・モイゼ教会のほうから数えて2本目の細い筋を南に入った奥にかつて劇場があった。1620年に建てられ、途中ブランクはあったものの1906年まで使われていた。建物は貴族のジュスティニアン家の所有物であったが、1638年、オペラが上演できるように改装がなされた。その翌年、モンテヴェルディのオペラ、「アリアンナ」が上演されている。1684年に建て直され、以後、数々のオペラが上演されている。ヴィヴァルディのLa costanza trionfante(1716)、「エジプト戦場のアルミーダ(Armida al campo d’Egitto)」(1718)、アルビノーニのL’Ermenegarda(1723)、パイジェッロのL’amore in ball(1765)など。しかし、この劇場で特筆すべきはロッシーニで、彼のデビュー作「婚約手形(La cambiale di matrimonio)」が1810年11月3日に初演され、続いて「幸福な錯覚(L’inganno felice)」 (1812)、「絹のはしご(La scala de seta)」(1812)、「盗みのチャンス(L’occasione fa il ladro)」(1812)、「ブルスキーノ氏( Il signor Burschino)」(1813)などが初演されている。1818年にロッシーニの「チェネレントラ(Cenerentola)」が再演された後、劇場は閉鎖された。1906年には映画館に改装され、その後、取り壊された。

3月22日通り

サンモイゼ劇場後

サン・マウリツィオ教会

フェニーチェ劇場の設計者、ジャン・アントニオ・セルヴァが1819年、この教会に葬られた。今は教会として機能しておらず、展示会のような目的で使われている。12月に教会の前の広場にアンティークの市が立つ。

サン・マウリツィオ教会

ジャンアントニオ・セルヴァの墓

サント・ステファノ教会
左側の身廊、最初の祭壇の手前にジョヴァンニ・ガブリエリの墓がある。場所は特定されていないが、彼はこの教会の教区に住んでいた。
1990年5月11日、ヴェネツィアが生んだ現代音楽の巨匠、ルイジ・ノーノの葬儀がこの教会で営まれた。ノーノの作品のほか、ヴェルディのアヴェ・マリアが演奏された。

サント・ステファノ教会

ジョヴァンニ・ガブリエリの墓

ピサーニ館(ベネデット・マルチェッロ音楽院)
ピサーニ館はヴェネツィアでももっとも大きな屋敷のひとつであるが、ここで1775年、婚礼の際にガルッピのカンタータVenere al tempioが上演された。1784年の3月5日、スウェーデンのグスタフ3世のために大舞踏会が行われ800名が招待された。ちなみにこのグスタフ3世はヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」の主人公である。その後、この屋敷は20世紀のはじめに音楽学校として利用されるようになった。歴代の学長には作曲家、ヴォルフ・フェラーリも名を連ねている。

サン・ヴィダル教会
ガルッピは1785年1月17日に亡くなり、この教会に埋葬された。しかし墓碑は見つかっていない。現在は教会としての機能は果たしておらず、観光客目当てのコンサートがよく行われている。

ピサーニ館

サン・ヴィダル教会

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